大島造船所物語
Oshima Shipyard Story

明るく、強く、面白く。
地域と共に歩んできた大島造船所の物語。

近隣5町の合併 – 西海市誕生

平成11年(1999)、合併特例法の改正が行われ、合併後10年間、まちづくりの事業費に使う借金の7割を地方交付税で手当てする財政支援措置が合併特例債として盛り込まれた。これにより、政府主導の市町村合併が強力に推し進められた。これが所謂「平成の大合併」である。この適用を受けるには、平成17年(2005)3月31日までに合併を申請し、翌18年3月31日までに合併する必要があった。

大島造船所がある大島町を始め、近隣の崎戸町、西海町、西彼町、大瀬戸町の5町は、県の後押しで平成14年(2002)12月に合同の法定西彼北部地域合併協議会(協議会)を設置した。そこでは、5町が合併して市になる方向で、協議が進んでいたが、一方、大島町住民の中には、大島町が崎戸町・西海町と共に佐世保市への合併を望む声(これが実現すると佐世保市が佐世保湾を全て囲む形になるので環佐世保湾構想とも言われた)もあった。
5町合併は、町民から見れば、気心の知れた近隣同士の間柄で、きめ細かな行政が期待できるという利点がある反面、人口が少なく財政基盤が脆弱という問題もある。
佐世保への合併は、上記と逆に財政には問題はないが、大島・崎戸という離島への行政に対する不安がある。どちらも一長一短があり、どちらを取るかはなかなか判断が難しいことであった。

一方、企業側としては、地域の自治体が財政赤字では、何かにつけて、企業への依存が多くなるのではないか、周辺の環境と交通網整備が手薄になるのではないか等が懸念される。従って、当社としては、財政基盤が健全な自治体の方が生産活動をやり易いということで、佐世保市への合併を望んだ。佐世保市も西海市には水道水源用の伊佐ノ浦ダムがあり、大島町には財政と雇用効果の大きい大島造船所があるので、これに賛同した。

そのような状況下の平成15年(2003)4月、大島町の町長選挙が行われた。この選挙は、5町合併派と佐世保への吸収合併派が真っ向から対立する構図となり、各々の陣営は候補者を擁立し、激しい戦いが繰り広げられた。
大島造船所は、社員票で、町全体の予想有効投票数4400票の内、1000票を占めており、応援した方の候補者が当選する可能性が大きい。
5町合併は、当事の町長始めとする町の主流派で推進している。会社は、地域社会はもとより、佐世保市とも接触を重ねて種々の情報を集めた。当社は、佐世保市への吸収合併案が強かったが、地域社会との兼ね合いもあり、どちらにするか揺れ動いた。そのころ、町長からは、住民投票に賭けることも提案された。

結局、当社は、いろいろ検討を重ねた結果、いずれを応援するにせよ、行政機関、近隣各団体とのしこりが残り、企業が地方行政に口出しすることは良くないということで、どちらの陣営にも応援せずに中立・自主投票でいくこととした。「役場を神社と思え。そして敬え」という創業者南景樹の遺訓が生きたことになった。
選挙は、5町合併推進の候補者が当選した。

協議会では、着々と5町合併への議論が進められ、平成15年(2003)6月に、市役所を大瀬戸町役場に置くこと、7月には、市名を西海市にすることが決定された。そのような経緯で、平成17年(2005)4月1日に西彼町、大瀬戸町、西海町、大島町、崎戸町の5町が合併し、西海市が誕生した。

なお、平成17年(2005)4月には、合併新法(平成22年(2010)3月31日まで)が施行され、引き続き市町村の合併が進められた。この新法では、合併特例債などの財政支援措置(平成18年(2006)3月31日まで)がなくなる一方、県による合併推進が盛り込まれた。
この「平成の大合併」により、全国の市町村の数は、平成11年(1999)3月末の3,232から、22年(2010)3月末には、1,727へと半分近く減った。

西海市は、人口が合併時33,680人であったが、平成28年(2016)2月1日現在では、28,675人と5千人減り、3万人の大台を大きく割り込んでいる。大島造船所は、ベトナムでの工場建設から撤退し、この大島に集中して設備投資を行い、建造能力を上げていくことを計画している。「地域と共に」のモットーの下に、西海市の産業活性化に貢献できることを願っている。

近隣5町の合併 - 西海市誕生