大島造船所物語
Oshima Shipyard Story

明るく、強く、面白く。
地域と共に歩んできた大島造船所の物語。

大島への生産集中 – ベトナムへの工場進出計画と撤退 地域、国を越えての付き合い

大島への生産集中 - ベトナムへの工場進出計画と撤退 地域、国を越えての付き合い

大島造船所は、平成に入ってから、紆余曲折を経ながらも強い信念で方針を貫き、バルクに特化した多数隻連続建造を進めてきた。今後も建造隻数を増やしていくに当たって、次のような問題があった。一つは、世界のマーケットで商売するために生じる為替のリスク、もう一つは、人口減による労働人口の減少から生じる採用難のリスクである。
これに対しては為替予約、海外からの人材受け入れの対策を採ってきたが、リスクを一層、減らすために、中長期的観点から、あくまで大島をマザーヤードと位置付けた上で海外に新工場を保有し運営することを重要な経営戦略として採用することになった。

海外の工場適地を選定するに当たり、立地、労働人口、気候風土は勿論のこと、政治的安定、経済状況、産業政策などの項目を総合的に考慮し、ベトナムを進出候補地として絞り込む。最終的に進出先をベトナム中南部に位置し、天然の良港を持つカインホア省カムラン市カムラン湾沿岸部に決定し、平成23年(2011)の年初、新聞でベトナム進出を発表した。
この記事で「大島造船所は最終的に工場を大島からベトナムへ移すのでは」と一般的に受け取られた。同年3月14日には、長崎県の中村知事が当社東京事務所に南尚代表を訪問された。丁度この時、東日本大震災3日後の余震で室内が大きく揺れ、事務所内は言いようのない不安に襲われる。南社長は「子供を育てるのに母体が健康でなければなりません。同じように大島もベトナム工場のマザーヤードと位置づけ、生産性の高い工場へと発展させていきます」と答えた。これで中村知事もほっと一安心されたようであった。後日、西海市の田中市長にも同様の説明を行った。
翌24年(2012)2月1日には、ベトナム建設本部を設置、同年2月14日に現地法人、有限会社大島造船所ベトナム(OSV)を設立した。同年5月にはニャチャンに事務所を開設して土地収用など各種手続きを開始した。

このように新天地ベトナムの工場建設計画を進めてきたが、その後まもなく、海運市況が低迷して国内外船主の発注意欲が下がり、低船価の長期化が予想される事態になる。その上、為替が計画当初から大きく円安に振れて、中国、韓国やベトナムからの廉価な資機材を調達して低コストで生産を立ち上げるという目論見が外れ、投資回収の目処が立たなくなった。また、大島からベトナムへ要員を割くことのリスクが大きいことと地域への貢献という観点も含めて、総合的に検討を重ねて新工場建設中止を決定した。
そのような経緯で、平成25年(2013)12月5日、ベトナムからの撤退を正式に発表し、翌26年(2014)12月17日に清算を完了した。

撤退は、後ろ向きで嫌がられることであるが、深手を負わないための重要な戦略の一つである。これからは大島で生産の集中、即ち大島で造船を極めるという覚悟を決めて、積極的な増産体制を進めていくことになる。県と市からは、これで地域の衰退を押しとどめることができると諸手を挙げて喜ばれた。

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