大島造船所物語
Oshima Shipyard Story

明るく、強く、面白く。
地域と共に歩んできた大島造船所の物語。

県内企業の救済 – 造船以外の仕事を始める

県内企業の救済 - 造船以外の仕事を始める

船舶のデッキクレーンを製造する佐世保の辻産業株式会社(以下辻産業)が平成20年(2008)12月12日、東京地方裁判所に会社更生手続きを申請した。負債総額は758億円、この年、九州地区の倒産した会社では最大の負債額である。
辻産業は、一般的なデッキクレーンを始め、ガントリークレーン、アンローダー等の舶用荷役機械装置のメーカーとして名が知られた会社で、ハッチカバー・船体ブロックも製造し、橋梁、鉄構造物等にも手を拡げていた。大島造船所は建造船の荷役装置を県内企業ということで、主に辻産業へ発注していた。

辻産業は慢性的な赤字経営で、信用不安解消のため20年以上、粉飾決算を繰り返していた。それを一挙に解決する手段として中国で造船事業に乗り出したが、無謀な投資で負債が膨らみ、平成20年(2008)9月のリーマン・ショックによる世界的な金融危機で資金繰りが急激に悪化した。
辻産業はあらゆる手段を模索した。ある企業は大島造船所に手を引かせて民事再生で動いたが破談になった。大島造船所は会社更生法による支援を主張し、数社に共同支援を打診したが、手を挙げる会社はなかった。辻産業は万策尽きて、大島造船所へ「会社更生法を申請する。大島にスポンサーをお願いしたい」と言ってきた。
大島造船所は辻産業に多くの荷役機械装置を発注しており、納入がストップすれば甚大な被害を被るので、やむなく救済を引き受けた。

平成20年(2008)12月31日、会社更生手続き開始が決定され、法律家管財人として小杉丈夫氏、事業家管財人として大島造船所の小林正宜副会長が任命される。
管財人の下、大島から出向したメンバーは、再建と生産継続のための事業計画策定に精力を傾けた。更生会社辻産業として、再建計画実施ための20億円のDIPファイナンス(注1)の設定と実行、組織のスリム化、受注済商品の値上げ交渉、監査法人による法務・財務・環境DD(注2)のフォローアップ、棚卸資産・固定資産の精査等の膨大な仕事をこなしていった。正に時間との戦いであった。また、辻産業の取引会社との骨の折れる複雑な交渉も行った。

そのような中、平成21年(2009)4月1日、大島造船所100%出資により株式会社相浦機械が設立される。更生会社辻産業から、中国の工場での事業を切り離すのに難航したが、最終的には、国内の舶用機器事業のみ譲渡を受け、同年7月1日、相浦機械は、その設備と従業員を引き継いで操業を開始した。
その後、受注促進及び経営の透明性を図るため、海運・造船10社の資本参加も得た。

大島からは相浦機械へ社長を始めとする経営陣及び主要部門に人材が派遣された。 まず取り組んだのが、工場のインフラの整備である。電源設備の一新、工場施設の整備、従業員施設の整備、工作機械の総点検を実施する。旧辻産業時代には業績が悪いため、肝心の施設・機械には金が回らず、傷みが酷かった。
次は大島生産方式を導入するための生産設備の投資である。コンベアラインの新設、新塗装工場の新設、200tクレーンの設置、移動屋根の設置を行った。
人事・労政面では就業規則及び諸規定の制定、人事制度の制定、分社化により出向していた社員の本社への統合と相浦機械労働組合への円滑な移行を行った。大島の基幹システムを導入し、協力会社40数社を5社に統廃合した。

このように工場のハード、ソフトが一新され、全てが効率的な仕組みに変えられていった。その結果、従業員の仕事への取組姿勢も変わり、生産性も上がり、受注環境も向上してきた。大島からの出向者とプロパー社員との信頼感も生まれ、会社が順調に回り始めた。今後、相浦機械は大島造船所グループの一員として、ますます、重要な役割を担っていくことになる。

注1:再建計画実施に必要となる資金融資
注2:Due Diligence、会社事業のリスクに係わる調査

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