大島造船所物語
Oshima Shipyard Story

明るく、強く、面白く。
地域と共に歩んできた大島造船所の物語。

デンソーへの応援派遣 -トヨタとのご縁のきっかけ

日本の造船業界は昭和50年代初めと昭和60年代初めの2回に亘り、世界的な造船大不況に見舞われた。1回目の造船不況の折には約1000名の社員・協力社員に退職してもらわざるを得なかった。2回目の造船不況の際は、2度人員整理をすることは、社員はもとより地域の信頼をも失うということで、人員整理を何としても回避したいと考えた。さりとて造る船は無く頭を抱えていたところに、住友商事を介して日本電装(現デンソー)が他産業からの応援派遣を受け入れるという話が入ってきた。早速、日本電装の田辺守副社長を訪ね、同社への応援派遣受け入れをお願いした。日本電装は造船業からの受け入れは始めてであったが、テストとして大島から派遣された第1陣の39人がまじめに働いたことと単価も安いこともあり、以後、3年7ヶ月にも及ぶ応援派遣が実現した。派遣を引き揚げるときには、日本電装からまだ居てほしいと懇願されるほど、当社の社員は自動車産業のスピード感を身につけ、よく働いた。応援派遣は、日本電装が主であるが、それ以外では、自動車業界を中心に10社にも及んだ。

この応援派遣により当社は人員整理を回避できた。正に田辺副社長のご理解とご支援の賜物である。これにより人材を温存したことが、会社と社員・地域の信頼感を醸成し、平成に入ってバルクキャリアに特化した多数隻連続建造の礎を作った。応援派遣は人員整理よりはるかに的を射た施策であった。田辺氏からは、引き続きご高誼を賜り、大所高所の指導を受けてきた。

その後、多数隻連続建造も軌道に乗ってきていたが、南尚社長は、「世界の『モノづくり』の頂点にあるトヨタから後任の社長を得たい、そして自動車と造船の技術の融合により造船業の更なる発展を実現したい」と考えた。そこで田辺氏の紹介で南社長がトヨタ自動車奥田会長、張副会長に人材を出して頂きたい旨お願いし、平成17年(2005)6月28日トヨタ自動車出身の中川齊大島造船所社長が実現した。その後、奥田氏、張氏には大島造船所への視察と中川社長の激励を兼ねて訪問いただいている。

そのような経緯から、トヨタとのご縁が生まれ、平成18年(2006)からトヨタ自動車生産調査部(現生産調査室)への研修派遣が始まった。生産調査部は大野耐一氏によるあの名高いトヨタ生産方式(TPS)を展開してきた部署である。大島からの派遣者は、2年間そこでTPSについてみっちり研修を受け、トヨタの考え方、仕事のやり方を身に着けて大島へ戻る。同じ輸送機器とはいえ、自動車と船では、製品の大きさ・生産方式に違いがあるので、トヨタの基本的なものづくりの考え方を踏まえて、大島にいかに適用していくかがトヨタ研修者の腕の見せ所である。

デンソーへの応援派遣 -トヨタとのご縁のきっかけ