大島造船所物語
Oshima Shipyard Story

明るく、強く、面白く。
地域と共に歩んできた大島造船所の物語。

一衣帯水の国との交流 – 中国との交流の経緯

昭和39年、中国交通部(*)幹部一行が大阪造船所(大造)の南景樹社長を訪ねた。 大阪国際見本市会場で中国経済貿易展の開催中のことである。
この時が大造にとっては、中国との交流の始まりであった。
51年には大造の南景樹社長(**)は広州交易会へ参加の後、北京の中国機械進出口総公司、中国交通部を訪問するなど積極的な活動によって中国との関係を進展させていく。
その後、大造は中国から、中国の近代化に対して指導して欲しい旨依頼を受け、技術研修生の受入れ等を行った。
南景樹は将来を見据え、日中交流の必要性を早くから認識していた。そしてそれを実践していった。まさに日中友好のパイオニア的存在であったと言えるだろう。
現在の大島造船所(大島)への中国実務研修生受入れ、中国製艤装品導入等の淵源はこのようなことに基づいているのである。
(*)中国交通部とは、日本の国土交通省に該当し、中国の有力造船所は同部の所属であった。
(**)当時、南景樹は大阪造船所と大島造船所の社長を兼任していた。

大島は中国経済の発展に呼応すべく、平成5年、中国ビジネスの拠点として、大造と共同出資で現地法人総合商社、上海鴎翔実業有限公司(通称ジョナサン)を設立した。
また、上海地区造船所3社、即ち上海船廠(上海)、滬東中華造船(集団)有限公司(滬東中華)、江南造船(集団)有限公司(江南)と合弁で艤装品をはじめとする各種鋼構造物の製作を目的に上海鴎翔鋼結構有限公司(通称オーシャン)を設立した。
オーシャンには、大造も出資すべく準備を進めていたが、住友重機械工業(住重)からオーシャンに出資したい旨、意思表示があったので、大造はその枠を住重に譲ることにした。

現在オーシャンは、上海40%、滬東中華10%、江南10%、住重20%、大島20%の出資比率で運営されている。
前記の2社の社名にある「鴎翔」は鴎が飛翔するという意味だが、1社の通称「ジョナサン」はパールバックの「カモメのジョナサン」から、他の1社の「オーシャン」は「鴎翔」の中国読みの発音、オーシャンから採っている。「オーシャン」は英語のOcean(大洋)にも通じる。

この様に大島造船所の中国交易は、当時の南景樹・大造社長から現在の南尚社長に至るまで、中国との「一衣帯水」「共存共栄」の関係で発展してきた。

一衣帯水の国との交流 - 中国との交流の経緯