大島造船所物語
Oshima Shipyard Story

明るく、強く、面白く。
地域と共に歩んできた大島造船所の物語。

苦節28年やっと独り立ち – 自立経営へ

当社は、上場・配当などを視野に入れた場合、いかにも過大資本であることから、併せて、株主3社のこれまでの多大なる犠牲と絶大なる支援に対して、少しでも報いたいとの思いから、平成10年8月、額面15億円の有償減資を実施した。75億円の資本金が減資により60億円となった。

平成12年は、造船業界にとって試練の年であった。日本は昭和31年以来43年間続けた建造量世界一の座を、韓国に明け渡すこととなる。わが造船業界は、かつての英国造船業のようにこのまま衰退の一途を辿るのか、それとも業界再編という、身を切り骨を削る荒療治をして再び競争力を回復することができるのか、重要な岐路に立たされていた。

このような年の11月、株主の申し入れにより、従来の株主3社の保証がなくなった。大島造船所はそれまで株主3社の保証で銀行借入を行ってきたが、この時から株主保証が無くなり、結果として「自立経営」の道を踏み出した。
創業時からこの年まで、事業運営に必要な資金は、株主3社の連帯保証による借入に頼ってきた。過去2回の不況時において、受注が途絶え、仕事量が激減し、資金が底をついた時期でも、取引業者や社員の給与の支払い等で滞納や遅配という信用問題を引き起こすことがなかったのは、この3社保証による運転資金の借入れがあったからである。

最悪時には、借入残が415億円まで膨れ上がり、年間金利は36億円にものぼった。加えて累積損失244億円を抱え、生きているのが不思議な経営状態であった。
昭和62年末には、株主3社は120億円の資本金全額の放棄と75億円の追加出資という多大な犠牲を払って大島を再生し、借入の3社保証も継続した。
正に3社保証の存在こそが信用力の源で、大島が存続してきた所以である。
「保証が打ち切られた現在こそ、ここまで来られた御恩を風化させずに、忘れないようにしようじゃないか」と南社長は社員に訴えた。

株主の保証という支援に甘んじている限り、どれだけ利益を出そうとも、バルクの世界で名を成そうとも、何時まで経っても半人前の会社でしかあり得ない。
「自立経営」は、自ら立ち、他人の保護や支援を受けずに、自らの力で経営を行っていくということであり、普通一般の企業にとっては、当たり前のことである。
体力がつけば、「自立経営」への移行は当然のことである。

これからは独力で借入れし、これまで以上に綿密な資金管理と為替への対応が要求される。一層の支出削減、コストダウンが必要になってくる。
どんなに苦しくとも、独力で資金調達を続けていくことが、さらなる発展とコスト競争力の強化につながり、これが達成できてこそ初めて、真に自立した会社と言える。

大島造船所は、この時から、親の庇護を離れて、独り立ちをした。
まさに大島造船所は真の再建を果たしたのである。
創業以来お世話になった株主や金融機関から「よかったね。今後も頑張ってください」という労いと激励の言葉を頂いた。胸にジーンと温もりが伝わってきた。

苦節28年やっと独り立ち - 自立経営へ