大島造船所物語
Oshima Shipyard Story

明るく、強く、面白く。
地域と共に歩んできた大島造船所の物語。

電算室が無くなる – ダウンサイジング完了

電算室が無くなる - ダウンサイジング完了

平成6年9月に設置された情報戦略策定委員会(IS委員会)の基本方針に沿い、「ネットワーク化の推進」と、「ハード、ソフト環境の整備」を行ってきた。これは仕事のやり方の改革を図ることから、WSR(ワーク・スタイル・リエンジニアリング)と呼ばれる。

基本方針の三つめは、「全体最適に適う情報システム」の導入である。 設計、会計・原価、人事・給与、資材、購買等の業務システムはホストコンピュータ(ホスト)で行われていた。これらはパソコンが出る前、今ほど情報技術が発達していない頃に開発されたものであり、各々のシステムが独立していて無駄が多かった。
間接業務の効率化のためには、ビジネスのプロセスを根本から見直し、全社的にベストな仕組みを作らねばならない。これがBPR(ビジネス・プロセス・リエンジニアリング)である。

BPRは、各システムを有機的につないで、情報を共有することが必要なので、ネットワーク化を前提とする。これにより、業務は情報システム部門によるホストの集中処理から、パソコンを利用した社員ユーザーによる協同的な分散処理へ移行する。このような動きをダウンサイジングと言うのは、小さなパソコンがホストの大きな機械に取って代わるからである。
ダウンサイジングは、ホストを使い続ける場合に比べて、費用を大幅に削減できるというメリットもある。当時の試算では、削減額は年間8千万円にもなった。ダウンサイジング化は、平成7年2月5日、社の方針として決定された。

BPRで、先行していたのは設計だった。平成3年から東大の小山教授を招いて始めたCIMS勉強会で設計システムの検討を行ってきた。3次元設計システム、即ち3Dシステムを、6年からパッケージソフト導入の方向で調査を開始。国内3社、国外1社のソフトを比較検討の結果、8年8月、三菱重工業のメイツを導入した。線図システムについては、スウェーデンのトライボンを導入し、メイツに連係させた。

一方、ホストで稼働していた会計、給与等の基幹業務システムは、ソフトが2,483本にも及んだ。ホストは、日付データの西暦を下2桁で蓄えていて、2000年以降を1900年代と誤認する2000年問題があるため、1999年(平成11年)までにソフトを一新しなければならない。期間は4年間しかない。綿密に計画を練り、実行していった。
基幹業務システムで、会計・原価、購買、人事・給与は市販の統合業務パッケージソフト(統合パッケージ)を導入し、それ以外の材料、請負、時数、設計関連等は新規開発することにした。
統合パッケージ導入の趣旨は、企業全体の経営効率化、全体最適化を図るソフトであることと、導入期間が短くコストが安いことにある。
14本の統合パッケージを候補に挙げ、2年に亘る調査検討の末、人事・給与をソシア、会計・原価・購買をワンワールドというソフトに決定した。

ソフトの一新作業は、統合パッケージの導入において、入力・出力等周辺のカスタマイズ(*)に苦労したが、新規開発とともに当初の工程を守り、計画どおり完了した。
1999年(平成11年)12月、IBMのホストコンピュータが撤去され、創業以来、当社のシステムを担ってきた牙城、電算室が無くなった。
(*)当社の仕様に合わせて、統合パッケージを変更すること

ネットワーク環境がなければ、間接業務の効率化は進まず、間接人員を増やさずに建造隻数を増やすという3B運動のゴールにたどり着くことはできなかっただろう。
情報共有による有機的なコラボレーションが、大島造船所の真骨頂「全社一丸」体制を築き、「全体最適化」を進めていったのである。

BPRにより、データを一旦入れれば、後は一気通貫、関連する処理を全て行い、必要情報を出せるようになった。部門をまたがって複数の社員が処理していた業務を1人でやるようになったところも出てきた。上司は、その社員が万一、病気になったらどうしようかと思い悩んでいる。

電算室が無くなる - ダウンサイジング完了