大島造船所物語
Oshima Shipyard Story

明るく、強く、面白く。
地域と共に歩んできた大島造船所の物語。

船が流れる – 台風が大島を直撃

平成3年9月27日16時頃、大島付近から九州に上陸した台風19号は、山陰から日本海へ出て本州沿いに北海道まで駆け抜け、各地に大きな爪痕を残した。
この台風は、長崎市での統計史上最大の最大瞬間風速54mを記録した。長崎の造船所はクレーン5基が倒壊して、甚大な損害を被った。
東シナ海から北北東へ長崎県を窺った台風19号は、当社にとって波・風ともに最悪のコースを取ると想定されたため、19本の索で係船中の船に、太い索2本を補強し、台風接近に備えた。

27日の14時過ぎから東南東の風が強くなり、やがて暴風雨となった。
16時、1号岸壁の40BCの台風用補強索2本が相次いで切れた。
16時5分頃、工場内を吹き荒れていた暴風雨が突然止み、空が明るくなって台風の目に入るが、うねりの影響で船の動揺が大きくなり、船尾の索4本が次々に切れる。
16時25分頃、北北西の吹き返しが急激に始まり、暴風とうねりで船の動揺はますます大きくなってくる。
そのうち、残りの船尾の索が1本ずつ切れていく。間もなく、船尾側の索が全て切れ、船尾が岸壁から離れて、船首の索だけで繋がれた状態になった。

次には船首側の索が次々に切れ、17時15分には最後の1本の索が切れて、船は1号岸壁からゆっくりと流れ出した。
そのような中、PCCのカーデッキブロックが、木の葉のように吹き上がって海に落ちた。

休日であったが、心配で駆け付けてきた社員は、なす術もなく、ただ、呆然と見送るだけだった。流れ出した船はミルク色の霧の中にだんだんと吸い込まれて消えていく。
船はノルウェーの船主、I.M.SKAUGENの40BC(141番船、船名:WESTERN SKAUBO)であった。視界から消えた船は、まるで異次元の世界に行き、この世から消え失せた感じだった。岸壁は大騒ぎになった。
霧が少し晴れてきて、ミルク色のもやの中に、うっすらと船が現れた。船は大島馬込港入口、寺島の北西、屋敷が鼻の岩礁に座礁していた。

タグボートを呼んだが、風が強く出られる状況ではなかった。その内に岩礁に乗り上げていた船が折しも、強風で少し動き出した。岸壁から見ている社員はどうなることかと心配顔で立ち尽くす。万事休すと思われたその時、忽然と木の葉のように揺れながら、波を蹴立ててこちらに向かって来るタグボートが視界に入ってきた。「よし、頑張れ」とみんなから声がかかった。この時ほど、タグボートが頼もしく思えた時はなかった。

とにかく、船を岸壁に戻すために、社員の志願者13人がタグボートに乗り込んだ。出発前、社長から「頑張ってくれ。よろしく頼む」と激励の緊急電話があった。
タグボートから船の舷側に、2脚を継ぎ足したアルミ梯子がかけられた。まず1人が危険を伴う中、メンバーが支えるその梯子をよじ登って船に乗り、上甲板のブルワ-クに梯子の先端を固縛した。その後、数人が次々と船に乗り移って、離礁の準備を行った。
そのうち、2隻のタグボートが到着し、23時15分、やっと船を1号岸壁に接岸させた。船はプロペラと船底のビルジ外板に損傷を受けていた。

知らせを受け、船主監督が韓国から駆けつけたので、本船に案内しようとしたところ、監督は「船は逃げない。まず、台風で苦労したメンバーの慰労をしたい」と大島アイランドホテルでパーティーを催してくれた。これで船を引き戻したメンバーは、苦労がいっぺんに吹き飛んだ。
プロペラは補修することで、監督も了解したが、社長の決断で取り替えることになった。
メーカーは、大島のために特別の工程を組み、昼夜兼行の突貫工事で替わりのプロペラを製作した。

台風で船が流されるという深刻な事態の中、社員、タグボート会社、プロペラメーカー等関係者が一致協力し、懸命の対処をした。船はドックで補修工事が行われ、予定納期より1ヵ月遅れて、4年1月14日、無事、船主に引き渡された。

船が流れる - 台風が大島を直撃