大島造船所物語
Oshima Shipyard Story

明るく、強く、面白く。
地域と共に歩んできた大島造船所の物語。

何が何でもやり遂げる – 新生大島造船所の設立

何が何でもやり遂げる - 新生大島造船所の設立

昭和62年12月、大島造船所にとって画期的な事が起こった。
再度の不況で体力を消耗し、株主は将来に不安を持った。この時、株主3社は抜本的な支援対策として大島造船所の累積された損失と償却不足などの含み損を、120億円の資本金の全額減資により消滅させ、新たに75億円の資本金を投入し財務内容の健全化を図った。

12月10日、まず、新会社として資本金60億円の大阪大島造船㈱と資本金15億円の大阪大島造船不動産㈱が設立された。大阪大島造船が大島造船所の事業運営会社で、大阪大島造船不動産が大島造船所の設備保有会社となった。

昭和63年1月1日に、従来の㈱大島造船所は㈱西海造船所に、大阪大島造船㈱は新しく、㈱大島造船所に商号変更した。この新しく生まれ変わった大島造船所が、造船所設備を継承した大阪大島造船不動産から設備を借りて、船を造ることになった。 残った西海造船所は、63年6月27日、清算手続きに入り、西海の藻くずに消えた。結局、株主3社は旧大島造船所である西海造船所の資本金120億円を累損一掃に当て、新会社2社に75億円の出資をした。3社は合計195億円の資金を投じたことになる。
63年1月6日、新生大島造船所の新年互礼会が大島町体育館で開催された。式典には、来賓として高田知事、大島・崎戸・西海の地元3町長、衆参両院議員、県議会議員、町名士などを招き、創業者南景樹を始め、関係会社・協力会社を含めた社員、総勢1,600人が出席した。

創業者南景樹は「地域の大義に殉じて私の全てを大島造船所に賭ける決意をした」と述べ、次のように語った。
①今日は大島造船所にとって、希望に満ちた、再出発の第1歩を踏み出す、スタートの日である。
②昨年は再生に向けた激しい陣痛の年であった。株主3社が大きな犠牲を払い、漸く再生の第1歩を歩み始めることができた。
③喜びのスタートの裏で、泣いている人がいることを忘れてはならない。大阪の人達の尊い犠牲において、仕事ができ、家庭を営むことができることを大島の人々は決して忘れてはいけない。
④造船業界の不況はまだまだ続く。むしろこれからが、我々の生死をかけた正念場。労使が共通の認識に立ってガッチリと手を取り合って登っていかなければ越えられない厳しい山道が続く。
⑤年頭に当たって、重大な決意のもと、大いなる勇気をもって、苦難に立ち向かって行くことを、只今、皆さんと共に誓い合いたい。いつの日か、必ず明るい春が来ることを信じて。

佳き日を祝って、大造子供会が「空がこんなに青いとは」と「社歌」を合唱し、満場の拍手を受けた。最後には、「大造躍進」の掛け合いコールに満場が相呼応して意気が上がり、全員の心が一つになった。新生大島造船所は厳粛のうちに将来への希望を込めてスタートした。