大島造船所物語
Oshima Shipyard Story

明るく、強く、面白く。
地域と共に歩んできた大島造船所の物語。

会社の主要機能が揃う – 営業部・設計部・資材部の発足と活動

昭和51年4月、大島造船所(大島)と株主3社で構成する営業委員会が設けられた。タンカーキャンセル等で激変する市場のニーズに対応するため、大島の営業部の陣容を充実し、株主3社からの協力も仰いで営業体制の強化が図られた。

大型タンカーの連続建造を目指した大島造船所創業時の設計部門は、基本設計即ち計画・引合い、船殻、装置までの設計業務を住友重機械工業(住重)が担った。大島の設計は、もっぱら、工作図の作成を主業務とする生産設計機能のみを持つ設計課として工作部に所属していた。

50年、タンカーのキャンセルにより、船種がバルクキャリアに変更された。その設計はバルクキャリアの経験が深い大阪造船所(大造)に自然の成り行きとして委託された。大阪造船所による設計は6番船以降のワーコンのシリーズ船からスタートした。
続いて受注したギリシャ系船主のバルクキャリアでは、建造途次の船主コメントが多く、大島の生産設計の組織では到底対応し得ない事態となった。これを打開するために、52年3月16日、設計課を工作部から独立させて設計部にし、そのもとに基本設計室を新たに設けて、上流の基本設計から下流の詳細設計までカバーする体制を整えた。

その後、大島の設計を担っていた住重から、自身の業務がタイトになり、設計業務を全て、大島独自で行うように通知された。そこで大造に人材の提供をお願いするとともに、広く天下に人材を求めることになった。これを機会に、株主3社はもとより、3社以外からも主要な業務を担う人材が入り始めた。このような人材採用は、設計だけではなく他部門全体に拡がり、現在に至っている。
大島は、定期採用、中途採用、他社からの転籍者の混成部隊から成り、自由闊達で全社一丸の独特の企業風土を形成している。このことをUSAに因んでUSO-ユナイテッド・ステーツ・オブ・オオシマ、大島合衆国-と称している。

資材部門は、当初工務部のもとで資材課として発足したが、49年11月15日、工務部が廃止され、資材部として独立した。
当初、主要な資材調達業務は、バルクキャリアについては大造に、タンカーについては住重に委託されていたが、52年3月16日の組織改正を機に資材部の陣容を充実し、全ての資材調達を大島独自で行うようにした。

会社は、営業が取ってきた船の設計を行い、必要資材の調達をして、船を造り、引き渡すことによって成り立っている。営業、設計、資材、工作の利益部門と総務・企画・経理などの管理部門は、会社運営上なくてはならない機能である。
創業時、大島造船所は工作と管理部門のみで、営業、設計、資材調達を株主3社に依存していた。言わば、上流の工程を持たない生産だけを行う工場であったが、52年までに、営業、設計、資材調達を独自で行う陣容にした。
これでやっと、会社経営の主要機能が揃い、主体的な経営体制が整った。
このような体制は、止むに止まれずに対処していく中で、結果的に成ったことであったが、これが大島造船所の基礎を形作ったのである。

会社の主要機能が揃う - 営業部・設計部・資材部の発足と活動