大島造船所物語
Oshima Shipyard Story

明るく、強く、面白く。
地域と共に歩んできた大島造船所の物語。

孫の手をひいて – 命名引渡式に町民参加

138型タンカーから33型バルクキャリアに船型変更された6番船の命名引渡式が昭和51年8月27日に行われた。
この時、香港の船主ワーコンの会長T.Y.チャオさんが来島することになり、地元の方々が歓迎の旗を振ってくれた。その経緯は、大島町老人会・大島町婦人会・大造婦人会の会長が町長室に集まり、歓迎の意を表すための相談をした時に始まる。

老人会の会長は「この大島には炭鉱時代、2万人もの人がいたが、炭鉱の閉山により新しい職を求めて若い者がすべて島を出て行った。島に残ったのは年寄りばかりになった。この島は空気もきれいだし、人情も豊か、魚もうまいし、星もきれい。だけど何か物足りない。それは同じところで営む家族の暮らし、そこから伝わる温もりがないからだ。それが寂しかったし悲しかった。でも造船所ができたお陰で、息子や娘が帰ってきた。息子や娘と一緒に暮らせるようになった。そして孫を膝に抱かせてもらった。孫はその小さい足を膝の上でトントンし、乳の香りをプーンと香らせ、柔らかい体をこの手に預けてくれる。年老いた者にはこれ以上の極楽はない。南景樹さんが孫を抱かせてくれた。恩にきとるよ。当たり前のことや。死ぬまで、孫の手を引いて歓迎に行くよ」と話し、そして「本当に喜んでいる気持ちを表したいし、地元の者の心意気を見てもらいたい」とニッコリ笑った。町長は嬉しそうに笑みを満面にたたえ「そうたい。その気持ちをいつまでも持ち続けよう」と言った。

この心意気がみんなに通じ、チャオさんの歓迎に大勢が集まり、大盛況となった。
チャオさんもたいへん感動し、「また是非来たい」と言ってくれた。
この命名式を見た他の船の監督さんも、「俺の船の時もやってくれ」と言ってきた。これが今のような命名引渡式の始まりである。その後、この大島特有の行事は、創意工夫を凝らしながら発展し、以来30年間続いている。
船造りという商売は、船主・荷主との関係が深く、製造業であると同時に接客業でもある。どのような業界・地域に関わらず、世間には情に厚い人が多い。大島の情感溢れる行事は、そのようないろいろな人の心の琴線に触れているようだ。

ワーコン4隻目の11番船の55型タンカー命名引渡式は、52年10月28日に行われた。命名式後に催された祝賀会では、大島町はチャオさんに、「創業間もない不況時に4隻の船を発注され、町の経済浮揚に大きな力となった」と感謝し、「大島町へご自由においでください」という意味を込めて「大島町の鍵」を贈った。

孫の手をひいて - 命名引渡式に町民参加