大島造船所物語
Oshima Shipyard Story

明るく、強く、面白く。
地域と共に歩んできた大島造船所の物語。

希望と哀愁 – 大阪から大島への赴任

希望と哀愁 - 大阪から大島への赴任

大島に新造船所を造ることになり、大阪造船所1,800人の中から、600人の大島基幹要員を募ることになった。これは大阪造船所の屋台骨を揺るがしかねないものであり、社員としても九州の島には行きたくないという気持ちが強かった。

しかし、「勇気」と「愛社心」で決意した大阪造船所社員600人の大島赴任が始まり、昭和49年5月頃にピークを迎える。家族を含めて1,200人の大移動、毎夜10家族ずつの引っ越し。夜行列車の特急「あかつき」で、夜8時、大阪駅を出発し、翌朝6時に佐世保駅に到着するというものである。

家族揃っての赴任、妻子を老父母をあるいは恋人を残しての赴任、身一つの気軽な赴任、大島要員はそれぞれの事情を心にしまって大阪駅に集まった。
見送りにきている同僚たちと大きな声で「頼むぞ」「頑張ってくれ」と声を掛け合う。列車が発車するとホームの端まで「お父さん」と叫んで走る幼い子、これを追う母親。列車が出た後、なぜか皆涙ぐんで頷き合う。
友との別れ、住み慣れた地を離れる淋しさ、未だ見ぬ大島への不安。人生のドラマが毎日続いた。

車中の話題は大島の物価、教育環境、生活物資、気候・・・等々。添乗する労務課員は嫌な顔一つせず話し相手になっている。

佐世保駅に着くと先発隊が迎えに来ている。握り飯を差し出し、「よう来たな」「疲れたやろ」という優しい声に、つい涙ぐみ肩を抱き合う。しばらくして、やっとほっとした顔になる。
「さあ、大島へ1時間のフェリーの船旅です」と言われると、「この子は船に酔うので」と不安顔のお母さん。「心配要らんです。それ程揺れません」と安心させる労務の連中。

造船所が見えると「すごい!すごい!」と唸るお父さん。傍らで「頑張ってね」というお母さん。新しい友達ができるか心配する子供たち。

このようにして、大阪からの赴任者は、大島の馬込港に上陸して、新しい生活への期待と不安を胸に社宅へ向かった。
引っ越しの面倒をみる労務の担当者は、夜になると真っ暗だった社宅に明かりが一つずつ増えていくのを見て、安堵の表情を浮かべるのであった。