大島造船所物語
Oshima Shipyard Story

明るく、強く、面白く。
地域と共に歩んできた大島造船所の物語。

生まれたときが悪かった – 第1次石油ショックに遭遇

生まれたときが悪かった - 第1次石油ショックに遭遇

紆余曲折を経て発足した大島造船所の工場建設工事は、昭和48年に入って埋め立て造成も進み、順調に進捗していくかに思われた。
ところが、建設工事が本格化していった48年秋に世界的な大事件が勃発した。10月6日に第4次中東戦争が起こり、湾岸産油国は石油公示価格の大幅引き上げを宣言。アラブ石油輸出国機構は石油供給制限を決定した。
いわゆる第1次石油ショックである。これにより石油の価格が高騰した。

エネルギー需要の大半を中東の石油に依存していた我が国が、大きな影響を受けたことは言うまでもない。この時、主婦のトイレットペーパー買い占めなどに端を発する様々な買い占め騒動が起り、物価が跳ね上がって狂乱物価の様相を呈した。
建設途上の大島造船所は、資材不足と価格高騰に悩まされることになった。物不足は深刻で、建設資材として無くてはならないセメントや電線などが手に入らない。このままでは予定していた工場の稼働開始も覚束ないという状況に陥った。しかし新工場で建造する船の受注は、計画通り進んでいた。

通常、大型プロジェクトの場合、資材調達は買い手市場で進むはずのものであるが、完全に売り手市場の状況に立ち至った。関係者の懸命な努力で資材はなんとか確保されたが、建設費は当初の予算170億円を大幅に超える310億円に膨れ上がった。
当時、石油は世界経済の主要エネルギー源であった。
その石油の低価格安定供給を前提にして成り立ってきた世界経済は、石油ショックを契機として、急激な景気後退局面に入った。不況とインフレーションが同時に起こる最悪の事態である。これが後になって、受注したタンカーのキャンセルという経営の根幹を揺るがす要因となったのである。

第1次石油ショックの直前、タンカーブームの頂点という時期に、大島造船所はタンカー用の大型造船所として設立された。今にして思えば最も悪い時期だった。
しかし、この不透明な時期に敢えて会社の設立を決定したから、また、タンカーブームの中であらゆる局面に対応できる工場にしていたからこそ、今日の大島がある。まさに先駆者の叡智による果敢な決断であった。