大島造船所物語
Oshima Shipyard Story

明るく、強く、面白く。
地域と共に歩んできた大島造船所の物語。

多難を思わせる船出 – 大嵐の鍬入れ式

昭和47年12月12日、新工場建設の鍬入れ式が楠地の建設予定地で午前11時より行われた。田坂鋭一運輸省船舶局長、久保勘一長崎県知事、宮崎豊喜大島町長始め、県、町の関係者などが多数出席した。

当日は、前夜来の北西の季節風が猛烈な寒気を吹き込んで、式典に参加した人々を震え上がらせた。会場に張られたテントが強風で倒れたため、鍬入れ式のみ現地で行い、祝賀会は急遽、大島町体育館に場所を移して行われた。
300人を超える参加者が新工場の幕開けを祝った。お酒も入って、久保知事は「知床旅情」を歌った。談笑の中で「九州の知事がなぜ北海道の歌を歌うのだ」という話は笑い話として聞けたが、「大嵐の鍬入れ式とは、前途多難を思わせる船出だねぇ」と語った関係者の言葉には、何か嫌な暗示を受けた。しかし、その言葉がまさか本当になるとは、その時は誰も思わなかった。
祝賀会には、大阪造船所に派遣されていた誘致大使27名の留守家族も招待され、南景樹社長の労いや激励の言葉に嬉し涙を流し、声を詰まらせる風景も見られた。地元の人々の喜びは、一入であった。

多難を思わせる船出 - 大嵐の鍬入れ式