大島造船所物語
Oshima Shipyard Story

明るく、強く、面白く。
地域と共に歩んできた大島造船所の物語。

みんなの気持ちが一つになる – 造船所受入れへの地元の熱意

みんなの気持ちが一つになる - 造船所受入れへの地元の熱意

昭和47年3月末に予定していた「造船施設新設許可申請書」の提出に当たり、運輸省より、大阪造船所に対し、新工場建設用地造成に伴う海面埋め立て(約33万㎡分)についての漁業協同組合(漁協)の同意書を添付する様、指示があった。
3月20日、大島町の要請により、急遽漁協の臨時総会が開かれた。

埋め立ての同意書を漁業協同組合から貰うには、一般的には長い時間がかかるものである。大島町の漁協臨時総会では、「1週間でしかも白紙の同意書を」という要請に、出席した町長と助役が吊し上げられた。総会は揉めに揉めたが、最後に組合長が「俺たちが『うん!』と言わなければ、この島に造船所はできない。町長と助役があれだけ言っているんだから、同意書を出そう。補償交渉は県と町に責任を持ってやってもらおう」と言い、みんなが同意して収まった。町長は補償交渉に責任を持つという確約書にサインをした。
同意書を、しかも条件が白紙のものをたった1回の話し合いで出した事例は、大島の漁協を除いてほとんど聞かない。造船所関係者は有り難くて涙が滲んだ。

運輸省の新設許可が下りた後、大島町は造船所建設のための用地買収について、直ちに松島炭鉱、関係地主と協議に入った。また、造船所受入れのための各種整備事業に関して、大島町、松島炭鉱、大阪造船所による「3者協議会」も発足した。
地元の新工場を受け入れる熱意により、困難を予想された諸課題が次々に解決へ向かって動き出した。ただし、住宅用地の買収は、工場用地と切り離しての交渉となり、なかなか捗らなかった。

このようにそれぞれの立場を越えて、造船所に来てもらいたいという大島町民の全員の気持ちが結集し、大島造船所ができたとも言える。
そのような気持ちがずっと引き続いたからこそ、命名式に町民が旗を持って出迎えと見送りに来てくれるようになったのである。これも地域全体の造船所だという想いがずっと繋がっているからと思われる。造船所もこの気持ちを大切にしていきたいと肝に銘じた。

大島町民が誘致に示した熱情と同じ思いを、大島町役場・議会・自治会等のあらゆる団体が示した。大島造船所から見ると、いろいろな問題があったけれども、造船業そのものが成り立つに当たっての致命的欠陥以外は、町と町民と大島造船所で長年かけて解決していけばいいではないか。誘致する方も進出する方も大島を良くしようという点で一致していた。この気持ちが未来永劫続くようにしていかなければならないと決意し、それが以後の行動に具体的に現れるようになった。

みんなの気持ちが一つになる - 造船所受入れへの地元の熱意