大島造船所物語
Oshima Shipyard Story

明るく、強く、面白く。
地域と共に歩んできた大島造船所の物語。

3社出資による新会社 – 新会社設立の許可

大島町への進出が決定し、諸準備に取り掛かろうとした時に、思わぬところに予想外の重大な問題が出てきた。
当時の大阪造船所は、資本金1,100万円であった。昭和17年から増資しないままできたため、会社規模からすれば過小資本である。他社との資本提携及び金融機関の融資には資本金の増資が必要であった。しかし、大阪造船所の増資による資金確保は手続きに相当の時間を要するなど多くの障害があり、実質的に不可能であった。
このような状況下、南景樹社長は、新造船所建設には、住友重機械工業(住重)、住友商事(住商)との共同出資による「新会社設立」の他、道無しと決断した。

住重の土井専務、住商の池田部長は、新会社への経営参加について各々社内の了解を取り付けた。最後に、㈱大阪造船所の南景樹社長が住友重機械工業㈱岩崎信彦社長ならびに住友商事㈱柴山幸雄社長と面談し、3社出資による新造船所設立の方向が固まった。

運輸省は、海運業界の動向、諸外国からの我が国造船業の過大占有率への批判等を考慮し、中手造船会社の新工場の建設に対して、建造能力を8万総トン以下に押さえると共に、許可申請受理を当分の間、延期することとしていた。
大阪造船所も、昭和47年3月末に予定していた申請を延ばしていたが、5月10日に運輸省九州海運局佐世保支局へ「造船施設新設許可申請書」を提出した。そして、7月31日、待望の新設許可が運輸省から正式に下りたのである。

造船業は運輸省の許認可対象事業であり、新工場建設はまだしも、新しく会社を設立するのは難しい状況にあった。
そこで、3社出資による新会社、大島造船所は、将来、大阪造船所の造船事業部門と合併するという念書を入れ、戦後初めての造船会社として許可された。ただし、新造船所の目玉である大型ドックの建造能力は、他社と同じく8万総トンとなった。

3社出資による新会社 - 新会社設立の許可