大島造船所物語
Oshima Shipyard Story

明るく、強く、面白く。
地域と共に歩んできた大島造船所の物語。

インフラは電気だけ – 大島町への現地調査

大島町の要請を受けて、大阪造船所は、昭和46年2月17日に第1次(田中取締役・南尚取締役・榎木監理部長・長山工作部長等)、3月11日に第2次(岩井次長・安永課長・松崎課長・稲井課長等)の調査団を派遣し、現地調査を行った。

大島町には、松島炭鉱時代の遺産として、工場用地に適した広いボタの埋め立て地や港湾、道路、電力等の産業基盤がある。海域も大型船舶を係留するための充分な水深があり、造船所建設の条件を備えている。
また、学校、市場などの生活基盤も満足できるものではないが、一応は整っている。
一方、日本の西の果て、しかも島という条件から、膨大な資材の搬入、労働力の確保、島に住む人・来る人の住居、生活環境、交通、教育などの問題点が懸念され、課題の検討が重ねられた。

生産資材については、大物は船による海上輸送で、小物はフェリー利用によるトラック輸送で対応する。
社員は大阪からの出向者と地元採用で充足し、協力会社は、先進造船地域の長崎と佐世保方面にお願いする。
生活面では、電車や自動車が行き交う都会の喧噪、びっしり立ち並ぶ商店や民家、夜を彩る赤や青のネオンなどあるはずもなく、都会出身者にとっては刺激が少ない。また、子弟の教育においても大いに不安な面がある。

しかし、そのような面があるものの、日常生活そのものはなんとか送ることができそうである。何よりも人間が生きていくために最も大切な新鮮な空気と静寂があり、綺麗な海がある。
こうして、調査はあらゆる角度から行われた。大島には良いところもあり、悪いところもある。結論は「何とかなるだろう」ということであった。

このような調査を踏まえて大島への進出が決まったが、工場の建設が開始された後の48年5月20日、21日に、もう一度、調査が行われた。それは生活環境、町民との融和に的を絞った調査で、メンバーは労務・組合・職場代表51名からなる多人数であった。
それぞれの立場から、通勤通学の距離・時間、市場の品揃え・値段、耐久消費財の商店の品揃え・値段、島内の宿泊場所、医療機関、フェリーの発着時刻、佐世保からの距離、住宅周辺の環境など、ここに住み、生活するための細かい点の確認が行われた。
これに基づいて、「赴任のしおり」が労使で作成されるとともに、大阪造船所の食堂にかかった「大島を成功させよう」という横断幕の下にたくさんの現地調査の写真が貼られた。その後、具体的な大島派遣メンバーの人選がスタートした。

インフラは電気だけ - 大島町への現地調査